保育のおもしろさ~正解がないから、おもしろい~

はじめに
「これで合っていたのかな」
保育をしていると、そんなふうに思う日があります。
あの時の声掛け
あの時の対応
あの時の表情
何度思い返してみても、正しかったのか分からない。
周りに聞いてみても、明確な答えは出てこない。
保育の仕事は計算式のように、一つの明確な答えが導き出せるものでもなければ、
目の前ですぐに正解かどうかの答え合わせができるものでもありません。
何年も経ってから、あれで良かったんだと思えるようになることもあれば
何年経っても結局いつまでも分からないままのこともあります。
でも私は最近、その“正解のなさ”こそ、
保育のおもしろさなのかもしれないと思うようになりました。
同じ関わりでも、同じ結果にはならない
同じ声かけをしても、届く日と届かない日があります。
昨日は笑っていた遊びで、今日は怒ってしまうこともある。
同じ環境でも、安心する子と、不安になる子がいる。
保育をしていると、
「前はうまくいったのに」と感じる場面があります。
でもそれは、保育が未熟だからでも、
誰かの関わりが間違っていたからでもなく、
子どもが毎日変化しているから。
そして子どもは、日々移り行く環境の中で生きているから。
- その日の体調
- 朝のお母さんの表情
- 友だちとの関係
- 眠たさ
- 小さな成功体験
- 言葉にできない不安
子どもは、大人と同じようにたくさんのものを抱えながら生きています。
保育者は、その小さな変化を見つめ続けています。
だから保育は、“昨日の正解”を繰り返す仕事ではなく、
また、マニュアル通りにこなしていく仕事でもなく、
その場その場で変化しているもの、あるいは逆に変化していないものと、
目の前の姿との関連性をキャッチし、臨機応変に対応していく仕事なのだと思います。

保育は、“答え探し”より“問い”に近い
保育をしていると、
「これが正解です」と言い切れない場面に何度も出会います。
今必要なのは、
励ますことなのか。
そっと待つことなのか。
気持ちを受け止めることなのか。
それとも、ストップをかけることなのか。
目の前の子どもの姿を見ながら、その都度考え続けている。
保育は、正解を当てる仕事というより、
“問いを持ち続ける仕事”に近いのかもしれません。
「なぜ今日は機嫌が悪いのだろう」
「本当は何を伝えたいのだろう」
「この子にとって、今乗り越える課題は何だろう」
問いを持つことで、見え方が変わる。
子どもを見る視点も、深くなっていく。
保育は、答えを探してそこにあてはめるのではなく、
“今、何が起きているのか”を見つめる仕事なのだと思います。

保育者は毎日、小さな問いを生きている
保育者は毎日、
子どもの姿を見て、考えて、関わって、また振り返っています。
「なぜだろう」が生まれて、関わってみる。
うまくいく日も、いかない日もある。
でもそこで終わりではなく、また見つめ直していく。
その繰り返しが毎日の保育になっています。
「保育は体力勝負」というイメージがありますが、それは間違っていません。
でも私は、保育はとても“考える仕事”でもあると思います。
感覚だけではなく、観察し、問いを立て、仮説を持ち、実践し、振り返る。
それを、何人もの子どもたちとの関係の中で幾重にも繰り返している。
もちろん、安全や健康というベースを保ちながら、
「成長」というレイヤーを上に重ねていく。
目には見えにくいですが、そこには確かな専門性があります。

答えがすぐ見つかる時代に、残っていく力
今は、分からないことがあればすぐに調べられる時代です。
AIに聞けば、瞬時にたくさんの答えが返ってくる。
辞書や図鑑を出してきて…なんてことは、もうほぼほぼしなくなりました。
効率よく、“正解”に近づくことは、
これからもっと簡単になっていくのかもしれません。
だからこそ、ここから先は人間にしかできない力が求められていくとも感じます。
AIが便利だからこそ、それを使いこなす人の人間性が、より際立ってきたと感じているからです。
何を大切にしたいのか。
どう関わりたいのか。
どんな問いを持つのか。
それは、答えを知っているだけでは育たない。
目の前の人と向き合いながら、
対話を通して、自分の頭で考え続ける中で育っていくものなのだと思います。
保育は、その力を日々使っている仕事です。
正解を早く出すことより、
今を見つめ、
問いを持ち、
最善を探し続けること。
それはきっと、これからの時代を生きる上で、
とても大切な力になっていくのだと思います。

保育は、生きる姿を見せる仕事
保育者は、子どもの一番近くで
問いながら生きる姿を見せている人なのかもしれません。
- 分からなくても考えること
- うまくいかなくても向き合うこと
- 問い続けることをやめないこと
その姿はきっと、言葉以上に子どもへ伝わっています。
子どもは、“身近にいる大人の生き方”を見ながら育っていきます。
正解がすぐにわかるとスッキリしますが、世の中は正解があるものばかりではありません。
なんだかよく分からなくてモヤモヤする、
白か黒かはっきりつけられない、グレーゾーンなことがほとんどです。
だから私は、問いながら生きることを苦しいものではなく、
「おもしろい」と感じられる大人でいたいと思います。
正解がないからこそ、考え続けることができる。
分からないからこそ、人と関わろうとできる。
それが、これからの未来を生きる子どもたちにとっての「生きる力」に繋がっていくと思うのです。

おわりに
正解がないから、不安になる。
でも、正解がないからこそ人をよく見ようとする。
考え続けようとする。
正解にたどりつかなくていい。
最善を探し続けること。
保育のおもしろさは、
その“問い続けること”の中にあるのかもしれません。
そしてそれはきっと、これからの時代にますます大切になっていくことだと思います。



